2003年1月7日火曜日

〔再録〕荷風と山鳩

2003.1.7


荷風と山鳩

寒い日が続いたかと思うと、日曜日の午後、キジバト(ヤマバト)が一羽余丁町のわが家の庭にやってきました。『断腸亭日乗』を調べるとほぼ同じ時期に荷風も山鳩を観察していることが分かりました。キジバトとは俗に山鳩とも言いますが、学名は Streptopelia orientalis といい、体長約33センチ、体は葡萄色を帯びた灰褐色で、雨覆は黒くて赤褐色と灰色の羽縁があり、頸側には黒と青灰色のうろこ状の斑が在る鳩です(日本野鳥の会)。普通は山地に住んでおりますが厳寒の頃にはあまりの寒さのためか町中にやってきます。余丁町は東京23区でも最も高い位置にあり(戸山公園の箱根山が23区で海抜が一番高いのですが、余丁町もほぼ同じ高さにあります)山鳩も飛んで來やすいのでしょう。荷風はこの山鳩に特別の思い入れがあったようで、『日乗』には大正7年1月7日と昭和11年1月22日の二回に渡り記述があります。いずれの記述も、飛んできた山鳩に自分の寂しい生涯を見立てたり、過ぎ去った過去への郷愁を語るものとなっています。母恒の言葉が具体的に引用されているのは此のくだりだけではないでしょうか。荷風は更に、山鳩を見ることで、唖唖子、鴎外に就いても思い起こしています。厳寒の頃、山から一羽だけでやって来て落ち葉を踏み歩くキジバトに、散人も昔の日本の冬は寒くて寂しかったことを思い出しました。本邦最初の「バード・ウォッチャー」荷風の一側面をご紹介したいと思います。

<断腸亭日乗より引用>

大正7年正月7日。山鳥飛び來たりて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。仏蘭西より帰り來たりし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽來りたればやがて雪になるべしかの山鳩来るに日には毎年必雪降り出すなりと語らるるを聞きしことあり。されば十年に近き月日を経たり。毎年來たりてとまるべき樹も大方定まりたり。三年前入江子爵に売却せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り來たりて餌をあさりぬ。その後は今の入江家との地境になりし檜の植え込み深き間にひそみ庭に下り來たりて散り敷く落ち葉を踏み歩むなり。此の鳩そもそもいづこより飛び来れるや。果たして十年前の鳩なるや。或いは其の形のみ同じくして異なれるものなるや知るよしもなし。されどわれはこの鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、ある時は障子細目に引きあけ飽かず打ち眺めることもあり。ある時は暮れ方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど決して人に馴れず、わが姿を見るや忽ち羽音鋭く飛び去るなり。世の常の鳩には似ず其の性偏屈にて群れに離れ孤立することを好むものと覚えし。何ぞ我が生涯に似たるの甚だしきや。

昭和11年1月22日。山鳩一羽西向きの窓に茂りし椎の木立の殊に小暗き葉かげを求め、朝の中より昼過ぎるころまで動かず作りしものの如く枝にとまりたり。こは今日初めて心づきしにはあらず、いつの頃よりとも知らず厳寒の空曇りし日に限り折節見るところなり。大久保余丁町の庭にも年々寒さはげしき日一羽の鳩の來りしことはたしか二十年前の日記にしるし置きたり。二十年前のわが身はまことに寂しきものなりけり。されど其のころには鴎外先生も未簀を易へたまはず、日々来往する友には庭後??子あり、雑誌つくりて文字を弄ぶたのしみも猶失われざりき。二十年後の今日は時勢も変わり語るべき友もなくなり老いと病の日々身に迫るをおぼゆるのみ。この日薄く晴れて後空くもりしが夜に至りて星影冴えたり。銀座三越に行き食料品を購ひ茶店久辺留に立ち寄ればいつもの諸氏在り。諧語に時の移るを忘れ例の如く夜半家にかへる。

<引用終わり>











20年近くも経っているのに、むかし日記に書いたことを覚えているのは、相当の思い入れです。荷風が好きな動物はほかにどんなものがあったのか、それぞれの動物にどんな思い入れを託していたのか、調べてみると面白いかも。

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